「学習」と「教育」と「考える」
テレビを疑う事を憶えたら、次はネットを疑う事を憶えよう。
鵜呑みにするな 考えろ。
学ぶ事と考えるという事は違う。同じソースから多くの事を勉強してもムダだ。
その系統に傾倒するだけだ。
教育、学習は一種の洗脳に近い。
さらに目を閉じて耳を塞いで部屋の隅でガタガタ震えることはまた違う。
学校では学ばせるのではなく
学ぶ意思を育たせるのが重要。
学生のなんで勉強しなくてはいけないのですか の質問を返せる 教師は少ないと思う
先生からしたら仕事だからというのが本音で
学ぶという事の抜本的意味を考えてない人が多いと思う。
何故ならその人の教師もその人に教えてないからだ
このことはどちらかと言えば教育の部分にはいる
勉強することを知識を暗記的な芋版で広めても仕方ない。
一応勉強の仕方の上手さで人を分類することに意味はあるとおもう
人は一生勉強しないといけないからだ。
後思想の統一にも洗脳にも役に立つ。
サルの教育と同じ
都合のいい答えには○を与える
不都合には罰をあたえる
ぱぶろふの犬のような