dedpの思いつき哲学

何か思いついたものそのまま書きながら考えたり。過去の黒歴史ノートが火を噴いたり。

黒歴史ノートが火を噴くぜ! 「生き死について」

結局何のために生きるのかなんて考えるのは中学生くらいまでだ。

 

大抵は、死んだら生きれない、生きるのならいつでも死ねるのだといった消去法的な選択をダラダラと先延ばしにしているのに過ぎない。

そもそもみんな死を直視してなさ過ぎる。

本来であれば小学生の時、夜に自分が死んだらと想像したことは誰しもあろうと思う。

あのくらいの危機感を日々持つべきなのだ。

だだあれが続くと皆、発狂してしまうので忘れる、考えないようにする、慣れてしまうので。 人は必ず死ぬのだが。有史以来人の死亡率は100%なのだ。

 

今も確実に死が近づいている。この一秒一秒確実に。

小学生の頃思い描いたあの恐怖に近づいている。

ただ先の事だから、遠い事だから(と思って)、いつの事かわからない事だから面倒なことを先延ばしにするように考えない。

 

それのイメージを明確にしないから、無くしてしまうから、毎日が間延びする。

水で薄まる。生きているということが曖昧になっている。

 

あなたが余命1週間と宣告されたら何をする?その気持ちで毎日を過ごす必要がある。

 

太宰は服をもらって長生きしたそうだがそれよりはつまらない。