dedpの思いつき哲学

何か思いついたものそのまま書きながら考えたり。過去の黒歴史ノートが火を噴いたり。

女性 社会進出について

女性の社会進出について明文化されたことはなかったが

労働者が増加した。

そのため労働の価値がさがった。

 

需要と供給により価格は決定される。

供給が増加すれば価格が低下する。

 

労働者からすれば働けど働けどになった。

労働時間が増加した。

人の替えも低コストで済むようになった。

クビにならないように

サービス残業をするようになった。

ますます労働の価値が下がっていく。

 

資本主義化が加速して不幸な人が増えた。

当然である。

資本を持つものに資本が集まるシステムだからだ

少数に多くの富があつまるようになった。

多くの人が不幸になるのはある程度自然である。

 

資本主義は 弱肉強食である。

弱者は死ぬべき形式なのである。

弱者を労わる、省みる者は強者ではない。

強者になることはない。

つまり、強者は弱者を食らうものの集まりである。

 

 

 

後悔を人にぶつけるということ

勉強しなさい!と言われると不快になる。

しかし、その発言はその人の後悔から来ている。

ああ、もっと勉強していればという後悔である。

その発言は悪意から来ているものか?
いいや完全善意から来ているものである。

アナタに対して自分の事のようにアドバイスしているのである。


あなたは友人が虫歯が痛いと行っていたら
行うアドバイスは「歯医者に行け」だと思う。


勉強していない所を見るとどうしても
歯医者に行かない虫歯の人のようなものである。

放置しても全く改善に向かわず、
悪化するだけ。

そして、行くと確かに苦痛を伴うのだが
虫歯の長々と続く苦痛に比べればましなのである。

昔 自分の見ている風景は他人と違う風景なのではと思ったことがないだろうか?

例えば色の感覚とかね。自分は赤、他の人は全然違う色で受け取っているのでは
ないだろうか?

そんなには多くは変わらないが他の人と違う事は確かだと思う

とまぁ、人にとって受け取り方が大きく違うのである。

自分は「こういうものと思う!」というのを大いに語るの全然結構。
しかし、「こういうものと思う!」を他人に強要するのは非常に無駄なのである。
またそういったものに対して自分の考え方と違うから「いやそうじゃない!」と
噛み付いていくのも非常に無駄なのである。

自分はカレーよりラーメンの方が美味しいと思うを他人に強要するのはおかしな事なのである。
また人の好みに上下はない。

自分はカレーよりラーメンの方が美味しいと思って、カレーを蔑んだりするのは
まぁ良いとして、ラーメンよりカレーの方が好きという人を蔑むのは
変愚かしい事なのである。

他人の考えを許容できない事は若い時に多いと思う。
悪い言い方をするとガキ臭いのである。
経験的なもので申し訳ないのだが
嫌いな食べ物が食べられないに近いものだと思う。
食べ物の好き嫌いが多い人は
人の好き嫌いが多く、考え方も一人称な方が多いように思う。


誰しもが通る道であり、
時間が来れば治るはしかのようなものである。

他人の考えを許容できなければ、基本許容されにくい人である。
また、自分の中だけで純粋培養された考え方は基本、深みもない。

理解した上で否定するのは結構だが、とりあえず話し初めで理解せず
まず否定から入る輩が多い。自分アイデンティティ誇示のためにかな。

とどのつまり、何が言いたいかというと

自分の考えを他者に強要することは愚かしく
他者の考えを許容せず理解せず否定することは愚かしく
他者の考えを鵜呑みにすることも同じ位愚かしいのである。


つまり何が言いたいかというと
特に何も無いのである。

むだい

建設的な事が出来ない、もしくは自分は断念したから他者の足を引っ張って
自分の位置を相対的に高めようとする行為
もしくはそれら建設物を否定して非難する行為(ぶどうはすっぱい)

内容を理解せず、揚げ足とる部分を必死に探すだけ。
脳味噌使わずに提携のテンプレートに当て嵌めていくだけ

人生なんて

人生なんて死ぬまでの暇つぶし。

有史以来人の死亡率は100%

金持ちも貧乏人も等しく必ず死ぬのである。

最終的な結果は同じである。


結局その際の自己満足の評価で価値が決まるような気がする。

長生きはそれを先延ばしにしているに過ぎない。

株式という形では 投資という形では


株式という形では 投資という形では
将来的な大きな収益 価値より
短期的で確実性が高いバックが
何倍も優先される。

つまり育成するという概念が無い。
現状あるコンテンツを食い潰すという方法が最優先される。

最近邦画が漫画原作のものばかりである。

最近邦画が漫画原作のものばかりである。
もしくはコンセプトをパクったものである。

それらの作品はハッキリ言ってつまらない。

また原作改変が過度に過ぎているものが多い。

それは邦画製作者は「漫画」というものを恐らく
ランクを低く見ていて、それをそのまま鵜呑みにして
製作するのはプライドが許さないケースも多々あると思う。

しかし元は言えば、つまらないプライドが来るものを拒み、
才能がサブカルチャーに流れ
本当におもしろいものがサブカルチャーにしか存在しなくなったためである。
(そのサブカルチャーを大きく育てたのもネットの影響が大きく関与していると思う。)

その結果が、自分が蔑むもののフンドシでしか相撲をとれない状況になり、
そのフンドシをドヤ顔で改変し、作品が当れば自分、外れれば原作の責にしてるんだろうなと思う。
異常に滑稽である。

その状況が結構長く続いている。
音楽で例えると(それ自体も既にそうなっているが)
メジャーとインディーズがあり、すでにメジャーが顕著に死に掛けている。

金は当然メジャーの方が持っている。しかし、才能と技術が無いのである。