責任者探し。
日本では何か問題が起こると
責任者というか戦犯を個人に探したがる。
そしてその人を罰して事の一件落着とする。
このスケープゴート探しと擦り付け合いが
本当の原因を隠匿する。
問題の原因は交通事故と同じで各要素が絡み合って
複合的な結果に過ぎないのだが。
近日の年金漏洩問題も同じような気がする。
訳のわからんスケープゴートが選択されそうで怒りを覚える。
40代以上に多いのだがネット=悪という認識がテレビ、新聞によって
一生懸命流布されているから共通認識で悪にしやすいのだろう。
もう一つの要因として40代以上はコンピューターリテラシーが低く、そのため、習得等苦労する。そのため「これは悪いものだ」とすることが容易であるためである。
本当にexeを踏んだアホとか、それようの教育をしてなかったのが本質なのだが
それは大きな問題とならないのであろう。
日本が技術大国であった理由
日本が技術大国であった理由
それは終身雇用であったほかならない
職人は安心して技術を伸ばす事ができ
それを雇用者が行使できた。
が、終身雇用が崩れそれが崩壊した
職人は技術の習得、教育に力を振る事ができず
変な守備行為をすることになる。
また、教育に集中することも出来なくなった
なぜならその教育したものが自分の職を
脅かす可能性があるのに安心して教育することなど
出来ないからだ。
また機械に置き換わった事が大きいことがあげられるが
その機械を操る、つまりプログラミング関連の大国となれる素養が
日本には十二分にあったがそれは叶わなかった。
(異常な識字率の高さ TRONの存在)
http://ameblo.jp/hokuto31313131/entry-11761017378.html
英語とプログラミングの教育が遅れたからだ。
近日の日本は教育をなめ過ぎている
それゆえ
教師の質も下がった。
政治家は個人の利益を追求しすぎだ。
天下りのわけのわからない
発展を阻害する利権企業に金を回すぐらいなら
学校の先生の人数を倍に増やしてもいいほどだ。
何故ココまで衰退したのか?
一つを原因に挙げることは出来ない。
全てが悪循環の要因として動く。
作りたいと言って何も作らない人
そこそこ色んな界隈を歩いている人なのですが
何処にでも「~したい、~するつもりです」という人を良く見かけます。
また「~するにはどうすればいいのですか?」と言う。
大概の場合、こういう方は最終的に何もしません。
特に若い人にこういった傾向の人が多いと思います。
恐らく失敗するのを極端に忌避しているためだと思います。
ネットというのは実生活とほぼ切り離して(最近の若い人はそうはいかないのかな?)
活動する事ができます。個人で情報を広く発信する事ができます。
失敗なんて恐れる必要は全く無いように思えるのです。
私の若いときはネットのインフラ等が発達しておらず
また田舎者のため個人製作を広く見てももらおうなんて
物凄い手間と勇気が必要だったのですが、今は殆どそういうのが無いと思います。
どんなものでも一度作品を発表してしまうことが非常に大事だと思います。
いきなりですが、色んなものが加速します。本当に。
スキルもモチベーションも一気に加速します。
恐れずに製作活動をして欲しいです。
もちろん初めては誰も見てくれないと思います。批判があるだけまだましだと思います。
それでも作り続けることによって、何れかは貴重な体験となると思います。
現代ではネットとパソコンがあるだけで、かなりの幅の創作活動が出来ます。
それだけで資格を得ています。また創作活動に全く打ち込める時間が無いという
人も少ないと思います。
昔では一部的な特権的を持つものだけが行う事をかなり広い範囲で
行う事ができるようになりました。
昔、皇帝しかアイスクリームを食べる事ができなかったそうですが、そんな感じです。
色々勿体無いように感じました。
自殺する人は
死ぬ理由が発生して死ぬのではなく、
生きる理由が無いから死ぬのではないかと推察する。
とくにない
新しい価値観。
その存在と理解が必要であるように感じる。
広く。
思うに無かった事になっている
ヒッピー文化がが今の価値観の代替に
になるような気がする。
ファッションではなくてね。
ファッションの時点で正反対だけど。
(ヒッピー文化は資本主義や高度発展の上でしか成立たんような
気もするけど。)
天日干しの釜戸で炊いた白米。
天然のイワシ。
遺伝子改良では無い国産大豆100%手作りの豆腐。
産地直送、無農薬、地産の新鮮な野菜。
実は昔ではそれしかない、デフォルトの食事なんだよなね。
物資的に豊かになったというが乏しくなっているような。
不幸せな人、不満足な人がどんどん増えている
現在の価値観はなんか間違っているような気がする。
気がするというか間違っている。
精神病や自殺者、貧富の差、精神の貧弱化
不満足、不幸せ。物資資本だけの価値観。
代替案を出せないなら批判をやめろとは思うけど
俺は嫌だ。
皆と一体化するということ
最近良くある漫画のオチで人類一体化!とかあるじゃないですか
人類補間計画とか あれですよ。
ああいったものには何か生理的嫌悪感が発生し主人公と共感して悪?と戦う主人公に一体感や投影ができるのですよね。
しかしその時点で結構人類一体化!みたいなのと一緒なんですよね。
人は集団と一体化するといったものを好みます。
幾つか例を上げると
映画館で映画を皆と共有して見るとか
お祭りとか
ライブとか
宗教とか
暴動とか
人と体験、思想を共有、共感することに快感を憶えます。
その際個々の意思は軽んじられますというかそれを捨てる事が出来ます。
自己を捨て集団に委ねることによって安心感満足感を得る事ができます。
ここまでの話を書いてて私自身こういった現象に否定的に書いてるように
見えますが私は肯定的です。
基本マイノリティな考えを持つ私はそういったものを極端に避けてきましたが
ただ羨ましいのです。
昔書いたブログから引越し断片小説 その8
そんな中、隣を平行して繋がる道路に目を向ける。
むしろあちらの方が本道にあたり、道幅もずっと広い。
こちらの道には無い街灯が、あちら道には大よその間隔で設置されている。
そして距離が離れているがこちらの道とあちらの道の間に遮蔽物は無いため、
その光が届きある程度視認性が確保される。
互いにつくづく無駄な道路と思う。
そのまま並行した道路にて歩みを進め
目的地が近づき、道が街路に入ろうしたとき
隣の道路の街灯の光が遮られる。
目が慣れるまでの間、前が真っ暗になる。
--つづく--