共通認識について その1 決定論
前に少し触れた「共通認識」
これは私の長年の思考のテーマになっています。
「共通認識」に関してはオカルト、心理学、量子論、経済学、政治、文化、ネット、芸術まで考えることが広がります。(広げすぎ)
実際私の中でも結論が出ていないので整理がてらに書いていこうかなと考えちょります。
順に追って説明しますとまず始めは高校生の時に決定論に気付いて悩みます。決定論とは物理学からして同じ状況か再現されれば結果は同じになるはずということです。判りにくいっすよね。
机上の空論で説明すると、サイコロを振る装置を作成する完全に同じ投げ方を発生させることができる機械を用意します。空気は完全真空、床も変動が置きにくいシンプルな床とします。まぁ言ってみれば何度でも同じ状況を発生させることができるというわけです。
一度振ってみました。「1」がでました。またセットします では次に「1」が出る確率は?
とうことで100%です。1/6ではありません。つまり確率というのは予測、観測できない事象を「大体こうだろう」と分類しただけにすぎないのです。観測、予測不足なだけです。
確率の象徴サイコロでさえこのありさまです。万事は結果が発生する前に決定しているのということです。それを決定論というのです。(決定論と言う単語に気付いたのは何年後ですが)
アインシュタインが「神はサイコロ遊びを好まない」といった理由はここら辺にあります。
すべては決まっていることに過ぎない、結果が要素となり連続的に次の結果を決定しているのです。究極いってしまえば、この時間にあなたがこの文章をよむのは宇宙創立依頼決定されていたといっても過言ではありません。(上記の理論で行けばね)
そこに人の意思というのは介入できるか?残念ながら人の脳もシナプスの電気信号。物理反応とかわりないのです。
「すべては決定している」「偶然は必然である」という考えに打ちのめされてしまいました。
というのが今回のあらすじ。