dedpの思いつき哲学

何か思いついたものそのまま書きながら考えたり。過去の黒歴史ノートが火を噴いたり。

共通認識

とある友人と話していた中で共通認識というのは本当に大事だなと再確認した。

 

人の意識が存在する、向けるということは本当に大きな力があるように思える。(ここらへんは量子論を交えて後日説明する)

 

話は非常に長くここでは会話に出てきた極一部の例え話のみをあげさせて頂くと

 

昔子供の頃 友達の家に遊びに行って非常に印象的な「狸の置物」があった。非常に部屋の空間にマッチしていた。

とある日にその置物がなくなっていた。親が邪魔だから捨てた

ということである。友達と共に非常に寂しい思いをした。

その寂しいという感情はどこからくるのか、

むかしよく遊んでいた公園が無くなったような感じ。

つまりその置物はただ無くなったのではく

共通の記憶にあった狸の置物が無くなったのである。

 

近代町の風景に思いいれが無いのは多かれ少なかれそういったものが断絶され作成されているためでなかろうか?

 

新しく作ってもただ綺麗なだけ。時間が立てば風化するだけである。プラスチック製品のように出来上がりは綺麗だが時間がたっても風味がでない、ゴミのように見えるだけである。

 

どういったものに共通認識を感じるか、集会所、寺、公園、広場、現代の様々な要素によって維持できることできず排除されていったものたちである。

 

我々は一度歴史を断絶させられてしまったのではないかと危惧してしまう。ローカルなコミュニティは絶えてしまっている。

そういったものが唯一現代の不条理と対抗できる仕組みだったのではないか、と考えてしまう。